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東日本大震災から約1年。瓦屋根の復旧工事で過ごした、忘れられない3か月。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

その約1年後、私は屋根の復旧工事に携わるため、福岡から東日本へ向かいました。

当時の私は、屋根工事を始めてまだ2〜3年目。

今でこそ屋根工事の現場経験は15年以上になりますが、その頃はまだ、ようやく仕事を覚え始めた程度の若手職人でした。

今回は、そんな私が約3か月間、瓦屋根の復旧工事に携わったときのお話です。

棟瓦の修理で学んだこと、現地のお客様との交流、そして途中で福岡へ帰ろうとした、少し情けない思い出まで。

今でも忘れられない経験をご紹介したいと思います。


約20人の職人で、東日本の屋根復旧工事へ

当時、当社は筑紫野市で長年付き合いのある協力会社と連携し、総勢約20人で屋根の復旧工事に携わりました。

そのうち、当社から参加したのは5人です。

施工地域は、福島県・栃木県・群馬県・茨城県。

各地の現場に対応するため、複数の班に分かれて作業を進めていました。

基本的には、屋根工事全般に対応できる職長クラスの職人が班長となり、その下に補助の職人が2人ほど付く体制です。

さらに、資材や撤去した瓦などを運搬するドライバーも加わり、各班が工事を進めていきました。

私自身は、最初に福島県で2件ほど施工した後、栃木県を拠点に長い期間工事を行い、最後は茨城県で2件ほど施工しました。

経験の浅かった私は、もちろん補助役。

班長である当社代表のもと、瓦屋根の修理作業を手伝う毎日でした。


あちらこちらの屋根に、棟だけを覆うブルーシート

現地で特に印象に残っているのは、住宅の屋根に掛けられたブルーシートです。

屋根全体を覆っているというよりも、棟の部分だけにブルーシートが掛かっている住宅を、あちらこちらで見かけました。

棟とは、屋根の面と面が交わる、屋根の頂上部分などのことです。

瓦屋根では、この部分に棟瓦を積み上げて仕上げることがあります。

地震によって棟瓦が崩れたり、ずれたりしていたため、応急的にブルーシートで覆われている住宅が多かったのです。

私が携わった現場は、すべて瓦屋根でした。

その中でも、特に多かったのが棟瓦の修理や積み直しです。

屋根全体を葺き替える工事もあり、私の記憶では担当した現場の3割程度だったと思います。

葺き替えの場合も、瓦屋根から新しい瓦屋根への工事でした。

当時の私が担当した住宅では、それほど瓦屋根が多かったということですね。


とにかく南蛮漆喰を塗る、塗る、また塗る!

さて、ここからは実際の施工のお話です。

棟瓦の復旧工事では、傷んだ棟を解体し、南蛮漆喰などを用いて棟瓦を積み直していきます。

そして、ステンレス線を使って瓦を緊結する作業なども行いました。

当時の私はまだ経験が浅かったため、難しい納まりや専門的な判断が必要な部分は、班長である代表が担当していました。


では、私は何をしていたのか。

ひたすら南蛮漆喰を塗っていました。

本当に、ひたすらです。笑

現場が変わっても、次の現場に行っても、また南蛮漆喰。

もちろん棟瓦を積む作業なども行っていましたが、特に数をこなしたのが南蛮漆喰を塗る作業でした。

おかげで、現場を重ねるごとに少しずつ上達していきました。

すると、ある日、代表からこんなことを言われたんです。

「お前はなんばん専門の職人になったらいいんじゃないか?」

もちろん冗談です。笑

屋根の復旧工事に来たはずが、危うく南蛮漆喰専門職人になってしまうところでした。

ただ、これだけ同じ作業を繰り返した経験は、今でも自分の技術の一部になっていると思います。


棟瓦は、ただ積み上げればいいわけじゃない

一方で、なかなか難しかったのが棟瓦を積む作業です。

瓦を一枚一枚重ね、トンカチの裏側で軽く叩きながら、位置を調整していきます。

これが、思っていた以上に難しいんです。

ほんの少し位置がずれただけでも、仕上がりが不格好になってしまう。

しかも、棟瓦は何段にも積み上げるため、最初のわずかなずれが、次の段、そのまた次の段へと影響してしまいます。

1mmずれたつもりが、積み重ねるうちに2mm、さらにそれ以上のずれにつながってしまうような感覚です。

もちろん、実際のずれ方が必ずその計算どおりになるわけではありません。

それほど、最初の位置決めと一段一段の正確さが大切だということです。

当時の私は、瓦を積むという作業に対して、少し単純なイメージを持っていたのかもしれません。

でも、実際に施工してみると違いました。

瓦の通りを揃えること。高さや位置を調整すること。そして、仕上がり全体を見ながら作業すること。

棟瓦は、ただ乗せていけばいいものではない。

熟練した瓦職人の技術が必要なのだと、あらためて実感した経験でした。


共同生活がつらくて、宇都宮駅まで逃げ出した話

ここで、少し情けない思い出も紹介させてください。

今回の復旧工事は、福岡から遠く離れた場所での長期出張でした。

しかも、滞在期間は約3か月。

途中で福岡へ帰ることもなく、現地で仕事を続けていました。

当時の私はまだ若く、遠方での仕事そのものに不安もありました。

さらに、宿泊先では大勢の職人と一緒に寝泊まりする共同生活です。

仕事が終わっても、なかなか一人になれる時間がありません。

もちろん、みんな同じような環境で頑張っていたのですが、私は結構ストレスを感じていました。

そして、ある日。

とうとう福岡へ帰ろうと思い、宇都宮駅まで行ってしまったんです。

「もう帰ろう。新幹線に乗って福岡に帰ろう」

そんな気持ちでした。

ところが、いざ帰ろうとして交通費を考えたとき、ふと思いました。

「あれ? このお金を払って帰ったら、せっかく頑張って働いた給料がなくなるんじゃ……?」

……。

結局、帰るのをやめました。笑

そのまま仲間たちのところへ戻ると、事情を知った職人仲間には笑われました。

でも、誰も責めたりはしませんでした。

長期出張の大変さは、みんな分かっていたんでしょうね。

「よく帰ってきたね」

そんなふうに迎えてくれたことを覚えています。

今振り返ると、本当に情けない話ですが、当時の私にとっては、それくらい大変な経験だったんです。

仕事への強い責任感で思いとどまった……と言いたいところですが、あの日の私を引き止めたのは、新幹線代でした。笑


現地のお客様は、温かい方々ばかりでした

大変なこともありましたが、今回の復旧工事では嬉しい出来事もたくさんありました。

特に印象に残っているのは、現地のお客様との交流です。

「遠いところから、わざわざ来てくれてありがとうね」

そんな言葉を掛けていただくことがありました。

私たちが担当した工事では、一つの現場に数日かかることもあります。

そのため、休憩時間にはお客様と談笑したり、お昼をご馳走になったりすることもありました。

何日も同じ現場で仕事をしていると、少しずつ打ち解けて、仲良くなることもあります。

福岡から遠く離れた場所でしたが、温かく迎えてくださる方々が多く、本当にありがたかったです。

そんなお客様との交流の中で、今でも覚えていることがあります。

復旧工事を終えて福岡に帰った後、あるお客様が、わざわざ宇都宮の水餃子を送ってくださったんです。

とても嬉しかったので、こちらからもお礼に博多の明太子を送りました。

屋根の修理をきっかけに、工事が終わった後まで交流が続く。

そういうご縁ができたことも、今回の復旧工事で得られた大切な思い出です。


約3か月の復旧工事を終えて、感じたこと

こうして、約3か月にわたる屋根の復旧工事が終わりました。

福岡に帰るとき、私が一番強く感じていたのは「ようやく帰れる!」という解放感ではありませんでした。

それよりも、「仕事をやり遂げた!」という達成感の方が大きかったんです。

もちろん、当時の私はまだ経験の浅い職人でした。

難しい工事は班長たちが担当していましたし、私自身が行った仕事は、全体から見ればほんの一部分だったと思います。

それでも、南蛮漆喰を塗り、棟瓦を積み、ステンレス線で固定する。

そんな作業を一つひとつ積み重ねながら、復旧工事の一員として働くことができました。


東日本大震災によって、多くの方々が大変な思いをされました。

その中で、屋根の修理を必要としている方々のために、自分にも何かできることがあった。

それが、素直に嬉しかったんです。

宇都宮駅まで帰ろうとしたこともありましたが、最後まで続けられて本当によかったと思っています。

技術的にも、気持ちの面でも、少し自信がついた3か月間でした。


最後は、男3人でディズニーシーへ

さて、ここまで真面目なお話をしてきましたが、最後に一つだけ余談があります。

すべての工事を終え、いよいよ福岡へ帰ることになったときのことです。

代表が、こんな提案をしました。

「せっかくだから、記念にディズニーシーに行くか」

ということで、長い間一緒に仕事をしてきた男3人で、帰り道に東京ディズニーシーへ寄ることになったんです。

そして、普通にアトラクションを楽しんで帰りました。笑

約3か月間、瓦屋根の復旧工事を続けてきた職人3人が、最後はディズニーシー。

今思い返しても、なかなか面白い組み合わせです。

しかも、途中で福岡へ逃げ帰ろうとした私は、最後にはわざわざ寄り道をして帰っているわけですから。

人生、何があるか分かりませんね。笑


あれから長い年月が経ちました。

今でも、棟瓦を積み直す作業や南蛮漆喰を塗るとき、当時の経験を思い出すことがあります。

屋根職人としての技術を学んだこと。

現地のお客様の温かさに触れたこと。

仲間たちと一緒に、長期の復旧工事をやり遂げたこと。

そのすべてが、今の私につながっていると思います。


東日本大震災後の屋根復旧工事に携わることができた、忘れられない3か月間でした。

そして、あのとき宇都宮駅から引き返して、本当によかった。

……もし帰っていたら、給料だけじゃなく、ディズニーシーまで失うところでしたからね。笑



※本記事は、東日本大震災から約1年後に携わった屋根復旧工事について、当時の経験と記憶をもとに振り返ったものです。

紹介した棟瓦の施工内容は当時の経験であり、現在のすべての瓦屋根に同じ施工方法を推奨するものではありません。実際の復旧・補修方法は、屋根の状態や現行の施工基準に応じて判断する必要があります。


執筆:株式会社 大日本絋産 スタッフ(屋根現場歴15年以上)

屋根工事の現場で経験してきた出来事や、職人ならではの仕事の話をご紹介しています。

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